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概要

劇団四季(げきだんしき)とは、年間3,000ステージ超、俳優・スタッフ700名以上を有し、リピーターを含む年間観客動員数300万人の日本最大規模の劇団。

劇団創立は1953年(昭和28年)7月14日。海外ミュージカル作品の上演だけでなく、オリジナルミュージカルも人気がある。 日本にミュージカルを定着させるのに大きな役割を果たし、2013年(平成25年)3月時点で東京・名古屋・大阪・札幌に専用劇場を所有、公演を行なっている。

 

 

設立当初

当初は、東京大学仏文科の学生(米村晰ら)と慶應義塾大学仏文科の学生(浅利慶太・日下武史ら)を中心として結成された学生演劇集団であった。最初からミュージカル劇団を志向していたわけではなく、設立からかなり長い期間がストレートプレイ専門の劇団だった。これは、当時新劇界を席巻していたイデオロギー優先で演劇的な面白さを欠いた潮流に懸念を抱いた創立者たちが、演劇そのものの面白さを追求する劇団として創設したこととも関連している。主にジャン・ジロドゥやジャン・アヌイらフランス文学作家の書いた戯曲を演じていた。劇団の精神的指導者は創立メンバーにフランス演劇を教えた加藤道夫であるが、加藤は劇団四季の成立直前に自死してしまう。

 

 

株式会社設立

最初は学生によるアマチュア的色彩の強い劇団だったが、次第に職業劇団へと変化、1967年に法人へと改組され四季株式会社となる。「四季」と名付けたのは、俳優・演出家の芥川比呂志である[1](ちなみに、創立メンバーである浅利たちは、彼らが愛読していたT・S・エリオットの長編詩から着想を得て、「荒地」という劇団名を考えていたが、若いときはよいが40になったときに「荒地」ではどうかとの芥川の指摘で、当時、フランスで活躍していた劇団・テアトル・デ・カトルセゾンから「四季」とした)。芸術性を優先して日本人による創作劇を連続上演して経営危機に陥ったり、生活を支えるためにアルバイトを優先する劇団員とそれを批判した劇団幹部の対立によって内部分裂の危機に見舞われたりしたが、安定した集客力をもつ高水準の芝居を上演することで、公演だけで法人運営が成り立ち劇団員も生活できる経営を志向するようになっていく。

 

 

メジャーへの転機

1971年に越路吹雪主演のミュージカル『アプローズ』をヒットさせてから、様々なミュージカルを上演しながら技術を蓄積、1979年に『コーラスライン』を上演したことが転機になる。日本の劇場は月単位契約のため、大ヒットを重ねても結局収益が限られる傾向があり、劇団四季は専用劇場の確保を模索しはじめる。1983年に西新宿の都有地空地を借りテント張りの仮設劇場を設置、『CATS』のロングラン公演に踏み切る。1984年11月10日までの公演となった(山田卓振付)。
1985年、大阪市西梅田の旧国鉄コンテナヤードに設置した仮設テント劇場で『CATS』を再演、13か月のロングラン公演を達成した。
『コーラスライン』を上演するまで劇団四季の上演回数は多くても年19回で、年平均10回程度だった。、しかし『コーラスライン』を上演した1979年は前年の50倍の581回となり、『CATS』を初演した1983年は707回。以後一貫して上演回数が増え続け、2002年には2530回上演している。
子供向けミュージカルにも力を入れている。

 

 

独特の朗唱法

「四季メソッド」という母音をはっきり発音する独特の朗唱法を使用している(母音法)。舞台上から観客の耳へと台詞がはっきり届くよう生み出された発声方法(腹式呼吸)だが、“明確に伝えようとするあまり台詞に感情が無い”と、この発声方法を嫌う演劇関係者や観客もいる。

 

 

オーディション

「受かっても落とされる」、「慣れ、だれ、崩れ」、「1音落とす者は去れ」と言われるので、配役されても出来が悪いとキャスト交代される。

 

 

ギャラ

主役でも2番手でも、1ステージは同じギャラ。

 

 

 

劇団四季公式HP

劇団四季

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